あなたのお口の中を "強靭化" するしくみ

〜咬合性外傷

「入れ歯の恐怖」のコーナーで、「咬合性外傷」の話をしました。部分入れ歯を入れるとバネをかけた歯がどんどん悪くなり、次々に抜歯になってしまう危険性が高いのです。

急にそんなことを言われても、イメージが分からないと思いますので、動画をご覧ください。

左側の方が、歯が全部残っている人で、右が、奥歯がなくなってしまった人です。
歯は後ろほど力がかかります。左側の人は、力を奥歯で支えています。
奥歯は根が太いので、基本的に力負けしません。

いっぽう、右側の人は、奥歯で支えるべき力を、前のほうの歯で支えています。
奥歯に比べて根も弱く、はじの歯に許容範囲を超える力がかかってしまっています。

これでは、すぐに歯をいためてしまいます。食事もしにくそうです。
そこで、従来の考えでは、奥歯に入れ歯を入れて支えようということになります。

入れ歯は沈む

しかし、左の動画のように入れ歯は沈みます。
天然歯はだいたい30ミクロンくらい沈みますが、入れ歯はその10倍くらい沈みます。
このように、入れ歯を入れてかんでも、まったく重心を支えられないので、結局バネをかけたはじの歯に許容範囲を超える力がかかってしまっているままです。

「では、歯より高い入れ歯を作ればいいではないか」という声が聞こえてきそうです。

しかし、そんな下駄みたいな高い入れ歯など、とてもではありませんが口の中に入れていられるものではありません。
仮に入れても「高いから削ってくれ」と言われて、結局、左の図のようになる高さにならないと入れ歯を入れていられないのです。
これでは、元の木阿弥です。

入れ歯は横に動く

じつをいうと、これはとんでもないことなのです。

歯は、横向きの力や回転力には大変弱いのですぐに歯周組織が傷んでしまいます。
逆に抜歯の時にはそのような力を加えるとすぐ抜けるのです。

入れ歯、とくに動画のような「後のない入れ歯」は、バネにより、横向きの力や回転力まで加わってしまいます。
ただでさえ許容範囲を超える力がかかっているのに、入れ歯のせいで横向きの力までかかっているので、大変危険な状態です。

入れ歯では「咬」んでいない

「食物をまっすぐかめばいいではないか」と思いませんか?
では、様子を見てみましょう。

このように、かみしめようとしても入れ歯は『沈んで』しまいます。
食物がある程度つぶれて「かみしめた」と思っても、入れ歯は重心を負担してないので、結局バネをかけた歯だけがガツガツとぶつかって傷んでいる状況は変わりません。
そのときはある程度食事できますので、運良く入れ歯がお口になじんだ場合は「ああ、食べられる。よしよし」などと思ってしまいます。

しかし、かんでいるけど「咬」んでいないのです。 歯科学では、歯のかみ合わせのことを「咬合(こうごう Occlusion)」と呼びます。
上下の歯がカチンとかみ合う「瞬間」、また横にずれた「瞬間」のバランスが臨床的にきわめて大事なのです。

一時のその場しのぎと引き換えにこんなことを続けていると、どうなってしまうのでしょうか?

入れ歯で抜歯が早まる

そうです。

奥歯がないことでただでさえ許容範囲を超える力がかかっているところに、『横向きの回転力』までかかってしまっては、歯はひとたまりもありません。

じつは骨には、力の負荷によって増えたり減ったりする性質があります。

抜けた歯を放置したり、宇宙旅行に行ったりすると、骨はやせます。
そこで、適度な運動をしたり、普通のかみ合わせ程度のほどよい負荷を与えると、骨は丈夫になります。
しかし、過度な外傷性の力がかかると、また骨は逆にやせてしまうのです。
この動画のような状態や、「入れ歯の恐怖」のレントゲン写真のような状態になってしまうと、もう抜歯です。

そういえば、このような「後のない入れ歯」を入れてらっしゃる方で

昔歯医者で次々に抜かれて入れ歯になってしまった
順番に歯が「腫れて」歯医者に言ったらダメだといわれた

という経験をされた方は多いのではないでしょうか?そして、飛び込んだ歯医者で、この歯は

歯周病

だから抜かないとダメ、と言われたのではないでしょうか?
じつはこの説明はまちがいだったのです。
歯周病なら全体的に悪くなるはずです。
しかし、このように1本だけ、順番に悪くなってしまうのは、「許容範囲を超える力」が主な原因だったからです。

しかも、上の図のように、入れ歯を入れるとさらに悪化するのです。

となりの歯、周囲の歯を守る "強靭化" 作用

ではインプラントだと、入れ歯とどのように違うのでしょうか?
比較した連続動画を示します。となりの歯に注目してご覧ください。

いちばんの違いは、インプラントの場合は、入れ歯とことなり、咬んでも『沈まない』ことです。
このため、しっかりと垂直的な圧力を支えることができます。
つまり、となりの歯に一切余計な負担がかかりません。

ここがもっとも重要なポイントです。

あらかじめインプラントでしっかり支えておくことで、将来のとなりの歯の抜歯リスクを格段に減少することができます。
これが、インプラントによる強靭化の作用の、ごく簡単な説明です。

ところで、2011年の東日本大震災では非常に多くの被害が発生しました。
さらに今後、首都直下型地震や南海トラフ地震が連続して起こるであろうことが高い確率で言われています。
以前の古い考えでは「公共事業は悪」「ムダは何でも削減」という発想が主流でしたが、日本は、欧米に比べて地震も風水害も格段に多く、国土も山がちで複雑なので、インフラコストを外国のように切り詰めることが困難であることが、改めて認識されてきました。
また、その後に起こった笹子トンネルの崩落事故でも、複数の貴重な命が失われました。高度成長期に作られた日本のインフラの多くが、50〜60年を経過して、第1回目の更新時期を迎えていることも、広く知られてきました。
2013年には、東海道新幹線も、今後50〜60年を視野に入れた "事前防災" 工事を行うことになりました。

人類の科学的な英知が到達した "予防原則"

環境破壊や災害に対しては「予防原則」という考えがあります。低い確率でも壊滅的リスクが想定される場面では、事前の対策に出し惜しみをしてはならない、という考え方です。
一例ですが、ハリケーンカトリーナの被害総額は14兆円でした。しかしFEMA(合衆国連邦緊急事態管理庁)の分析によると、2200億円の事前防災投資をしておけば、被害総額がほとんどゼロになったとのことでした。

簡単に言うと、2000円の出費を出し惜しみしたせいで14万円の損をした、ということです。
しかし、実際に14万の損をしてみないと2000円を安いとは思えないのが、人間の "情緒" の限界なのでしょう。
情緒を超えた科学的な立場に立って初めて我々は「予防原則」という概念に到達することができました。

歯に話を戻して考えてみますと、いったん失われた歯は、元には戻りません。
安易に周囲の歯を巻き込んで入れ歯やブリッジにして共倒れをしてからでは遅いのです。

「強靭化」「予防原則」の観点からも、インプラントはきわめて理にかなった治療法である、といえると思います。