歯科疾患における「三大要素」をご存知でしょうか。一般的には「むし歯」と「歯周病」がよく知られていますが、実はもう一つ、非常に重要な要素があります。それが「力(咬合圧)」です。
むし歯や歯周病への意識は高まっていますが、「力」が歯に及ぼすダメージについては、まだ十分に浸透しているとは言えません。しかし、近年の研究やメディアの報道により、ストレス社会における「力」と歯の関係が少しずつ注目されるようになってきました。
以下のようなお悩みはありませんか?
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これらの症状の多くは、細菌による疾患ではなく、物理的な「力」へのアプローチを行わない限り、根本的な解決が難しいものです。力の影響は自分では気づきにくく、生活習慣と密接に関わっています。そのため、当院ではこの点をとくに気をつけて診察しております。
まずは、ご自身のお口に過剰な力がかかっていないか「自覚」すること。それが、歯を長持ちさせるための第一歩となります。
お口の形や骨格には個人差があります。顎のラインがシャープな方もいれば、ふっくらした方もいますが、これらは単なる「顔の個性」ではなく、歯並びや骨格のパターンによるものです。
上下の歯が理想的なバランスでかみ合っているとされる条件には、主に以下の3点があります。
実際には、この条件をすべて満たしている方は多くありません。しかし、バランスが崩れた状態で無意識に力が加わり続けると、お口の中だけでなく、首や肩の凝り、頭痛、自律神経の乱れといった、いわゆる「不定愁訴(原因のはっきりしない不調)」を引き起こす要因になることが指摘されています。
人間は二足歩行をする動物です。約5kgもある頭部を支え、全身のバランスを保つためには、かみ合わせの「安定」が不可欠です。かみ合わせの位置がずれると、全身のバランスにも微妙な歪みが生じます。
たとえば、直径1cmほどの綿の塊を右の奥歯だけで強くかんでみてください。そのままかみ続けると、頭を少し左に傾けたほうが楽に感じるはずです。このように、お口の中のわずかな変化が、首の筋肉や姿勢に直接影響を与えます。
また、姿勢を正すと顎は自然に後ろへ下がります。逆に、良い姿勢のまま顎を前に突き出すのは、首に大きな負担がかかり、苦しく感じるでしょう。
不正なかみ合わせを放置し、本来とは異なる位置で毎日かみ続けることは、全身を常に捻り続けているのと同じような負担を体に強いることになります。これが慢性的な肩こりや腰痛、さらには冷え性、倦怠感、集中力の低下といったメンタル面を含む多様な不調(不定愁訴)へと繋がることがあるのです。
すべてのケースに当てはまるわけではありませんが、適切な治療でかみ合わせを整えた結果、「長年の不調が嘘のように消え、活力が戻った」という報告も少なくありません。
意外に思われるかもしれませんが、人間の上下の歯が実際に接触している時間は、1日のうちでわずか「15分~20分程度」と言われています。これは食事や会話の時間をすべて含めた合計です。
つまり、残りの23時間以上、本来歯と歯は触れ合っていないのが正常な状態なのです。これを「安静空隙(あんせいくうげき)」と呼びます。
しかし、夜間の歯ぎしりや食いしばりがある人の場合、接触時間は2時間、3時間と飛躍的に増えてしまいます。さらに日中も、PCやスマホの操作中、あるいはストレスを感じる場面で無意識に歯を接触させていると、歯や顎にかかる負担は限界を超えてしまいます。
野生動物の世界を見てみましょう。
イヌやネコなどの肉食動物は鋭い歯を持っていますが、普段から歯を接触させていたら、自分の口の中を傷つけてしまいます。そのため、彼らはリラックスしているとき、必ず歯を離しています。
ウマやウシなどの草食動物は、長い顎(馬面)を持っています。構造上、奥の筋肉だけでかみ締め続けると大きなエネルギーを消費して疲労するため、彼らもまた、咀嚼時以外は顎を緩めています。
人間は、進化の過程で顎が短くなり、食いしばることが物理的に可能になってしまいました。しかし、その力に耐えられるほど歯や顎の骨は強くありません。食いしばりを続けることは、生物学的にも非常に不自然な行為なのです。
人類の歴史を振り返ると、平均寿命が40歳を超えたのはごく最近のことです。私たちの歯は、遺伝子的には「40年程度使えれば十分」な強度しか設計されていない可能性があります。
しかし、現代の日本人の平均寿命は80~90歳。私たちは、本来の設計寿命の「倍」の期間、同じ歯を使い続けなければならない時代に生きています。だからこそ、物理的な「力」による摩耗や破壊を防ぐ意識が、かつてないほど重要になっているのです。
筋肉の運動には2種類あります。
ひとつは等張性(アイソトニック)運動といい、重いものを持ち上げるなど、筋肉を動かしながら負荷をかける運動です。負荷のコントロールが比較的容易です(咀嚼、筋トレなど)。
もうひとつは等尺性(アイソメトリック)運動といい、動かない壁を押し続けるような、筋肉の長さが変わらない運動です。
「食いしばり」は後者の等尺性運動にあたります。動きがないため自覚しにくいですが、瞬間的に非常に大きな力がかかりやすく、負荷のコントロールが困難です。この過剰なエネルギーが、歯を破壊する原因となります。
これらの「力」によるリスクを放置すると、
◆ 歯が磨耗する(アブフラクション・知覚過敏)
◆ 歯がたわんで生え際が欠ける(楔状欠損~知覚過敏)
◆ 歯が割れる(歯牙破折・歯根破折)
◆ 歯槽骨が慢性的な打撲で消失(咬合性外傷)
◆ 打撲などで歯周病が加速する
◆ 顎関節に負担が行く(TCH(歯牙接触癖)→顎関節症)
などのようなしわ寄せ・弊害リスクが高くなります。
歯を守るために最も大切なのは、「安静空隙」を意識的に作ることです。 具体的には、食事や力を入れる瞬間以外は、上下の歯を1mm程度浮かせるようにしてください。
下顎を安定させるコツは、「舌の先を、上の前歯の付け根よりも少し上の歯肉(口蓋)に軽く触れさせておく」ことです。こうすると、自然に上下の歯の間に隙間が生まれます。
日々の生活の中で、もし「今、歯が触れ合っているな」と気づいたら、以下の練習を試してみてください。
◆ 唇を閉じたまま歯をわずかに浮かせます。
◆ 舌の先を、上の前歯の生え際に30秒押し付けます。
◆ 舌を静かに離してみてください。
これを繰り返すことで、脳が「歯を離しているのが正常な状態」だと学習していきます。気づいたときに少しずつ続けるだけで、歯の寿命は確実に延びていきます。
「むし歯ではないのに歯がしみる」という知覚過敏の多くは、実は「力」が原因です。 歯に過剰な力が加わると、歯は生え際を支点にして、わずかに「たわみ」ます。歯の表面を覆うエナメル質は非常に硬いですが、伸縮性がないため、このたわみに耐えきれず、生え際の薄い部分がポロッと剥がれ落ちてしまうことがあります。これを「アブフラクション」と呼びます。
削れた部分から神経に近い層が露出するため、冷たいものがしみやすくなるのです。また、歯が摩耗したり酸で溶けたりすることを総称して「トゥースウェア」と呼びますが、これらもかみ合わせの力が関係しているケースが多くあります。
最も恐ろしいのは、歯が縦に真っ二つに割れてしまう「歯根縦破折(しこんじゅうはせつ)」です。 これは、過去に治療歴がない健康な歯にさえ起こることがあります。残念ながら、歯が縦に割れてしまった場合は、現在の歯科医療では抜歯を避けられないことがほとんどです。
失った歯を補うにはインプラントや入れ歯が必要になりますが、もともとの原因である「力」をコントロールしない限り、他の歯も同じ運命を辿るリスクがあります。
現代社会において、ストレスを完全に排除するのは困難です。夜間の歯ぎしりや食いしばりは、脳がストレスを解消・発散するための防御反応(ストレス・マネジメント)の一つであるという説もあります。
つまり、口の中だけの問題として片付けることができない、複雑な側面を持っているのです。ストレスによって交感神経が過度に緊張すると、筋肉が強張り、さらなる食いしばりを引き起こすという悪循環に陥りやすくなります。
「力」の影響が強く、被せ物が頻繁に壊れたり、歯の摩耗が激しい場合には、夜用マウスピース(ナイトガード)の装着をおすすめしています。 マウスピースは、歯にかかる過剰な力を分散し、歯同士の直接の摩擦を防ぐ「防波堤」のような役割を果たします。これにより、大切な天然歯や高価な被せ物を守ることができます。
実は、自分の意識だけで夜間の食いしばりを軽減できる方もいらっしゃいます。 寝る前に、「もし歯を食いしばったら、すぐに気づいて力を抜こう」と心の中で強く念じる方法です。 「そんなことで?」と思われるかもしれませんが、これを毎日繰り返すことで、寝ている最中に「あ、今かんでいる」と気づき、自分で力を緩められるようになる人が意外と多いのです。 もちろん、完璧にコントロールするのは難しいですが、マウスピースなどの治療と併用することで、その効果はより確かなものになります。 歯を守るための習慣づくりは、毎日のブラッシングと同じくらい大切です。まずは「安静空隙」を意識することから始めて、生涯自分の歯でおいしく食事ができるよう、一緒に取り組んでいきましょう。